DREAM MAGAZINE

曽我部恵一 フリートーク・ジャム’05 SUMMER #1

interviewed by natsuo kitazawa
photo by tadashi matsugi

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[アグレッシヴに熱く]
―― アコースティック・ソルジャー・ツアーは独りだから、そういうところはより顕著だね。むしろバンドの方が難しい?

曽我部 バンドの方が、ライヴの見せ方っていうのはだいぶ制限されるからね。事前にちゃんと決めとかないと難しいところもある。バンドでロックするのって、なかなか難しい。

―― エンケンさんとその辺の話すると面白いと思う。何かで読んだけど、長いキャリアのなかで、ひとりでやったり三人でやったり、いろんな編成でやってても必ずひとりに戻るのは、「バンドじゃダメだ」って思うかららしいよ。でも、またバンド組むのは、「やっぱりバンドでやりたい」って必ず思うからなんだって。それって、曽我部くんも一緒でしょ(笑)。『ラブレター』は固定メンバーで録ったの?

曽我部 ほとんど固定メンバーですね。今のライヴのメンバーで。でもぼくがベース弾いてたりもするけど。

―― 今のバンドは、「曽我部恵一バンド」っていう名前なんだね。

曽我部 エンケンバンドと一緒ね。

―― わかりやすいね(笑)。

曽我部 「〜グループ」にしようかとも思ってたんだけど、パティ・スミス・グループみたいに。でもそれだとカッコいいんだよ。

―― カッコいいとダメなの?(笑)「〜グループ」だとアヴァンギャルドでアーティスティックなイメージがあるから、今の曽我部くんには「曽我部恵一バンド」の方がフィットしてるかもね。いい意味でラフだから。「セブンティーン」とか、テレパシーズの影響も感じるね。

曽我部 そうかもね。

―― シンプルなパンクロック。

曽我部 テレパシーズにも「セブンティーン」って曲あるね。ピストルズにももちろん。

―― あ、そうだよね。基本かもね、パンクバンドの。作詞家の阿久悠さんが森進一に「東京物語」(1977年)っていう近田春夫さんもハルヲフォンでカヴァーした名作を書いた時、もちろん小津安二郎の映画からタイトルを採ったんだけど、「全ての表現者はそれぞれの〈東京物語〉を描くべきだ」と思ったからなんだって。「セブンティーン」も同じだよね。みんな一度はそのタイトルで書くべきっていう。
この曲はだから、「ロックは少年少女のものだ」という気持ちと、「大人のロックがあっていいはずだ」という気持ちと、きっと両方あるよね。

曽我部 そう! そこってどうなんだろうなー。

―― 素晴らしいと思うけど。両方ちゃんとできる人はなかなかいない。

曽我部 オレ、ニール・ヤングがそうだと思うのね。あり方としてね。

―― それが理想?

曽我部 大人がやってる、ってだけなんだけどね。大人がまだ学祭前の高校生バンドみたいにただただ純な気持ちでやってるっていう。大人、っていうかもうお爺さんなんだけど。

―― ジジイでも収まってないから、かっこいいじゃん。クラプトンみたいな生き方と正反対だよね(病気になったジャック・ブルースの治療費を稼ぐために、仲間割れしたバンドを再結成してライヴをやるあたり泣かせるけど)。やっぱ、ニール・ヤングの方にシンパシー沸いちゃう?

曽我部 うん。ニール・ヤング、最近(2003年)の、武道館公演を観に行って、長いライヴだったんだけど、一曲だけ弾き語りやるんですよ。それが本当に良くって。ものすごい瑞々しいのね。泣いちゃった。すごいなと思って。

―― 新作のコンセプト・アルバム『グリーンデイル(greendale)』(2003 年)を演ったライヴね。ニール・ヤングも曽我部くんと一緒で、ツアーで誰も知らない新曲を演るのが好きなんだって。最近のインタヴュー読むと、考えてることが曽我部くんと相当リンクしてるよ。『グリーンデイル』を劇映画化して自分で監督・撮影・製作全部やったり(註4)、相変わらずアグレッシヴだよね。アメリカのベテランの人たちでアグレッシヴな人って、案外いないもんね。

曽我部 そうですね。ジョニ・ミッチェル(註5)はもうやってないの?

―― 絵描きとして来日した記憶はあるけど、オーケストラをバックに代表曲を再録した『トラヴェローグ(Travelogue)』(2002年)を最後にアルバム出してないね。「最近の音楽業界のビジネス一辺倒の体質や、流行ってる曲の薄っぺらさにはうんざりする。そんなシーンの一部でいたくないから、今後レコーディングはしない」って宣言したらしい。でも、あの人簡単に辞めそうな気がしないから、また音楽やるんじゃないかな。ジョニ・ミッチェルいいよね。でも、なぜ今、曽我部くんの口からジョニ・ミッチェルが出てきたのか興味あるな。

曽我部 いや、ニール・ヤングの話してて、ふと。あの人もすごいイイじゃん。ずっとやってきてて。

―― ずっとやってきたし、ジャンルも人種も性別も問わず、いちばん影響力のあったアーティストのひとりじゃないかな。最初コーヒー・ハウスの弾き語りから出発して、若くしていろんなアーティストにカヴァーされたり、ジャズとクロスオーヴァーしたアルバム(『コート・アンド・スパーク(Court And Spark)』・1974年)をいち早く作って大ヒットしたり、プリンスが影響受けた人として名前を挙げたり、ジャネット・ジャクソンが「Big Yellow Taxi」(『レディーズ・オブ・ザ・キャニオン(Ladies Of The Canyon)』・1970年に収録)をサンプリングしたり。

曽我部 テクニックっていうか、スキルっていうか、ジョニ・ミッチェルすごいと思いますけどね、音楽家として。あれはちょっとね、すごい。

―― そうだよね。ジョニ・ミッチェルは女性だけど、絵も描くところとかも含めて、曽我部くんが気になるアーティストとして名前を挙げるのは分かるな。「Both Sides Now」(『Clouds/青春の光と影』・1969年に収録)とか、若い時に書かれた曲だけれど、今聴いてもしっくりくるし。アメリカの60年代の若者の文化がどうしても好きなのは、「Both Sides Now」みたいな曲が、ちゃんとヒットするところ(1967年ジュディ・コリンズに提供。『かもめのジョナサン』のホール・バートレット監督の映画『Changes(青春の光と影)』の主題歌として起用され、1968年全米第8位を記録)。

曽我部 どういう歌?

―― 物事を両側から見る。言ってみればそういう歌なんだけど。20代前半で書いたにしては、かなり深い歌詞だよ。いい意味でバランスとれてるよね、ジョニ・ミッチェル。

曽我部 穏やかだね。

―― 内面はきっと激しい人なんだろうけど、作品は聴き手を落ち着かせてくれるよね。

曽我部 ああいう感じだよね、リチャード・ブローディガン(註6)の小説。『愛のゆくえ(The Abortion:An Historical Romance・1966)』(1971年刊、邦訳は1975年新潮文庫/2002年ハヤカワepi文庫、いずれも青木日出夫・訳)。

―― そう!「Both Sides Now」が主題歌の『青春の光と影』って、ブローティガンがデビュー作『ビッグ・サーの南軍将軍』(1965年刊、邦訳は1979年河出書房新社、藤本和子・訳)で舞台にしたビッグ・サー(カリフォルニアで最も美しいと言われる、カーメルからケムブリアまでの太平洋岸を総称する海岸地帯。50年代から70年代にかけて、ボヘミアン、ビートニクス、ヒッピーが集い、世界中から作家や芸術家が密かに移り住む〈聖地〉として知られていた)が舞台の映画なんだって。ブローティガンも60年代のウェストコーストそのものだから、ジョニ・ミッチェル聴きながら読むとぴったりだよね。ジョニ・ミッチェルは恋多き人だから、いろんな恋愛をして、そういうのもちゃんと芸の肥やしになってる。パティ・スミスもね。

曽我部 女の人はすごい、ビヨークにしろ。この前も、あふりらんぽ観て、オレもう嫉妬しちゃったからね。

―― 書いてたね、ホームページの日記に。

曽我部 女性のアーティストは羨ましい、っていうか、ぼくがぜったいなれないもののひとつ。でも、最近ではステージでは女になったつもりでうたうこともあるよ。

註4 ニール・ヤング『グリーンデイル』
   boid.pobox.ne.jp/greendale/nyindex.htm
註5 ジョニ・ミッチェル 
   www.clubdam.com/rootsmusic/ot/jm/
註6 リチャード・ブローティガン(1935-1984年)
米ワシントン州タコマ出身の作家・詩人。サンフランシスコに移住後、遅れてきたビート・ジェネレーションとして
60年代後半に脚光を浴び、1967年サマー・オブ・ラヴの渦中に発表された代表作『アメリカの鱒釣り』
(邦訳は1975年・晶文社刊)は緑色世代のバイブルとして全米の若者たちに支持された。
本国で忘れ去られた後も日本での人気は高く、片岡義男、村上春樹、高橋源一郎、池澤夏樹、景山民夫など多くの作家に
有形無形の大きな影響を及ぼし、本人も度々来日した。1984年自殺。その生涯については、主要作品のほとんどを翻訳し、
友人でもあった藤本和子の近著 『リチャード・ブローティガン』(2002年・新潮社刊)に詳しい。2003年、再評価の高まりと共に、
長らく絶版になっていた名作『西瓜糖の日々』が河出文庫から再刊された。


[対決シリーズ]
―― 日本人で最近気になるアーティストっている? 女性じゃなくてもいいんだけど。例えば、よく銀杏BOYZについて言及してるよね。

曽我部 うん、すごく好き! 家でしょっちゅうCDを聴くっていう「好き」とも違うんだけど、存在がね。いろんな意味を含めて正直な、誠実な音楽だなと。なんか熱くなりますね。全てが出ちゃってるっていうか。ホントだったら、そこを隠して上手くやるのがミュージシャンの仕事だったり、アーティストの仕事だったり、って思われてるようなところを、全部出しちゃってるというか。カッコいいな、正直だな、と。

―― 今、すごく人気あるよね。

曽我部 うん。見てると熱くなるんですよ。

―― 曽我部くんは、そういう存在を前にした時、負けるもんかオレもやってやるぜ、っていう闘志が出てくるところが、いいよ。

曽我部 (銀杏BOYZの)峯田くんにも前に言われた。どこかで会って喋ってた時に、そういう話になって。「曽我部さんは、そんだけミュージシャンとしてキャリアがあるのに、まだ若い連中に興味持ったりするんですか」って。ちょっと不思議がられたけどね(笑)。

―― そういうミュージシャンがあんまりいないからなんじゃない? (自分の地位を)確立しちゃうとさ、たいていマイペースにやる感じになるし。

曽我部 そこで思い出すのはオレ、手塚治虫がさ、石ノ森章太郎の原稿に嫉妬してディスったっていう事件。それを思い出すね。やっぱ、ずっと何に対してもムキになるっていうか。エンケンさんもそういうところあると思うんだ。

―― 収まりかえらない? 

曽我部 うん。だってエンケンさん、オレと演ると絶対さ、勝負だと思ってるから倒しにかかるのね。オレはエンケンさんの音楽聴いてきて、影響受けて、もうリスペクトの気持ちで一緒にやらせていただいてるっていう気持ちでそこにいるのにね!そういう人間を前にしても倒しにかかるからさ(笑)。だからオレも、そこで倒しにかからないと意味ないんだな、と思って。次のツアー(註7)は倒してやると思って立ち向かうつもり。対決っていう以上はね。エンケンさん、前はね、何かですれ違うと「曽我部くんまた対決しようね」って一言いってきてたりして。その意味がなんとなくわかってきた。例えば今度、銀杏BOYZのツアーのファイナルにゲストで出るんだけど・・・

―― 一緒に演るんだ。まったくの対バン? 一対一でやるの?

曽我部 猫ひろしくんも出るんだけど、彼はお笑いだからMCなのかな? その時も、ただ一緒にステージに立つっていうんじゃなく、やりたいよね。

―― 倒しにかかるみたいなのがないと、やっぱりつまらないよね。手塚治虫は死ぬまでそう思ってたんじゃないかな。大友克洋が出てきた時にはマジで、潰してやりたい・・・って思ってたはずだよ。

曽我部 絶対それだよね。素敵だと思うよ、ほんっとにそういうことって。大人げないんだけど(笑)、最高にアーティスティックだよね。

―― 手塚先生、周りから見ても相当大人げなかったらしいけど(笑)。

曽我部 石ノ森章太郎の話も相当だよね。70年代かな?虫プロダクション(手塚治虫が主宰していたマンガとアニメの制作会社)から出てた『COM』か何かの雑誌に石ノ森さんの作品が掲載されて、編集後記であの作品はダメだ、って手塚さんが言ったっていう事。(註8)石ノ森はすごく怒って、認めてくれたから掲載されたはずなのに、ああいうふうに書かれるのはすごく心外だ、って言って。その後で、手塚がごめん、と。「ぼくは君に嫉妬してあんなふうに言ってしまった」っていうね。大人げないよね。編集長として、自分で載せたんだから、っていうさ(笑)。

―― 口惜しくて、一言いわずにはおれなかったんだね。

曽我部 そういうの素敵だなと思って。確実に魂のコミュニケーションがあるじゃん、そこに。
―― なんか熱いよね。そうか、銀杏BOYZとのステージ、見逃せないね。

曽我部 銀杏BOYZとエンケンさんと。

―― 対決シリーズだ。体調整えておかないとね。じゃ、いちばん素で燃えられる、嫉妬しちゃうくらい燃えられる相手っていうのは、今は銀杏なんだ?

曽我部 あ、でも最近、対バンとかいっぱいやるじゃないですか。この前もThe MiceteethとかYOUR SONG IS GOODとかと演ったのね。名古屋クアトロの時は、曽我部恵一バンド、YOUR SONG IS GOOD、The Miceteethって順番で。出番が最初だからさ、相手がどんくらいの力でかかってくるかわからないじゃない?もう、完全MAXで演っとかないと勝てないと思って。そういう時も、MAXでやるし。

―― いいね、それ。

曽我部 ここまではやらないだろうってトコまで、絶対やっておきたい。やっぱりいい対バンだと無意識に燃えるんだよね。逆にゆるい対バンだとなんか・・・

――  楽勝で勝っちゃうからね。

曽我部 それだとなんかつまらないかなと思うし。

―― 曽我部くんがMAXでやる感じがとても好きなんだ。去年の「MARQUEE NIGHT」の時も、気持ちいいくらいMAXでやってたよね。元Cymbalsの沖井礼二くんのソロとTHE SUZANとテレパシーズという対バンで、沖井くん、あの時ソロになってから初のステージだったでしょ。彼のステージの後に出てきた曽我部くんが、完膚無きまでに彼をやっつけたのがすごい良かった。たぶん、彼にとっても良かったんじゃないかな、今後のために。これくらいやらないといけないんだ、というのを見せつけたというか。アンコールで出演者みんなとセッションになった時、沖井くんがフロアへダイビングしたのは、その反省の気持ちの現れだったんじゃない?

曽我部 (笑)。

―― あの時の沖井くん、ぜんぜんダメだな、ってすぐに気付いてさ。いちばん良くなかったのは、シンバルズ時代のファンに甘えているところ。

曽我部 まだ向かってなかったよね、ステージに対して。

―― 甘ちゃんもいいトコで、もうお話になんない。だから、そんな意識はなかったと思うけど、そういう態度を完膚無きまで粉砕したのがすごくよかった。ぼくは沖井くんの逆襲を期待してる・・・そんなふうに、曽我部くんは常にあれぐらいMAXでやって、結果的に若い芽を摘んだりとかしても(笑)、大いに良しっていうか。

註7 2005年7月2日、3日、4日に神戸・京都・大阪で「純音楽の友」と題して行われた、
   “遠藤賢司 VS 曽我部恵一”弾き語りツアー
註8 石ノ森章太郎の連載「JUN」は、繊細な感性を持った少年ジュンの目を通した心象風景を叙情詩的に描いたファンタジー。
ストーリーや台詞をほとんど排除し、絵だけで表現した作品。
1967年〜69年、『COM』に掲載されていたが、この一件で1969年2月号で突然終了した。

[アコースティック・ソルジャー]
曽我部 自分としては、毎回毎回ボクシングの試合みたいで、楽しいんだよね。でも、ステージ降りるとヘトヘトだけどね。

―― あれだけやればそうなるよ。

曽我部 45分とか1時間のステージでもヘトヘトだから。とにかく1曲目で体力をぜんぶ出しきるっていうのが楽しい。そのあとは未知の領域っていう(笑)。メンバーと言ってるのは、これがワンマンになって2時間半とかを、ちゃんと自分で体力をキープできるようにならないと、って。とにかく体力上げていかないとダメだって。

―― 経験値からいっても、曽我部くんほどの基礎体力が他のメンバーにない場合があるから、そこらへんは課題だね。

曽我部 そうですね。ひとりのステージだと2時間半とか3時間をフルで、もう上り詰めていく感じでやってるじゃないですか。それはね、もうほんっとに気持ちいい! なんか知らないけど。

―― それはライヴに参加してる人だけが味わえる醍醐味だよね。その場にいるお客さんもさ、自分がお客さんというのを忘れて一緒に上っていく感じが見て取れるから。最近のライヴに来るお客さん、すごくいいよね。ちゃんとエネルギーを返してくれるじゃない。そういうのもあって、顔が見える人たちに向けて、音楽をするようになってきてるよね。全国各地をいっぱい回っているしさ。何よりもそれが、かなり以前とは違うところなんじゃない?

曽我部 以前はツアーのあり方ってぜんぜん違ってて、アルバム出したからツアーに出ましょう、っていう。あとあんまり赤字にならないような組み方をするじゃないですか。それがライヴだと思ってた。そういう制約みたいなもの、関係ないですからね、今。時間があったらギター抱えてどこかの街に行って歌う。時にはそれが大きい会場だったり、ものすごく小さい会場だったり、喫茶店だったり美術館だったり。
で、その街のやつらが来てくれて・・・それをただひたすら繰り返して行くだけだなぁと思ってて。その先に何があるか全く今はわからないんだけど、ひたすらそれをやろうと思ってる。だから、アコースティック・ソルジャー・ツアーっていうのは、ここからここまで、っていうひとつの期間のツアーじゃなくて、もうライフ・ワークみたいにずっとやっていくことって思ってる。

―― それをやろうと思ったのは何がきっかけだったの?

曽我部 ブルースがずっと好きで。ロバート・ジョンソン(註9)とか。ああいう、アコギ一本持ってどこかにふらっと行って、そこで一週間くらいの期間演奏してて、気付いたらアイツいなくなったな、みたいな。でまた次のどこかの街にいる・・・そんなのにすごく憧れてて。マネージャーがいるわけでもプロモーターがいるわけでもなんでもない。そういうミュージシャンのあり方って、今はあんまりないじゃないですか。

―― そうだね。

曽我部 だから、そんなふうに、ひとりでギター持って旅したい、っていうのがずっとあって。でも、家庭ほっぽり出してふらっと放浪の旅には出れないし。だからかな、より強くなった、憧れる気持ちが。で、なんとなく子供も大きくなって、家族の生活も落ち着いた感じになって、でも、ツアーだと何日も出かけたままになるから、一泊くらいしてパッと帰ってくるとか、近県なら日帰りしたりとか。そういう感じでひとりでふらっとギター持って、リュックにTシャツとか入れて行きたいな、っていうところからスタートしたの。そんななかから、いろんな出会いがあったりして。それで今までは大きな「オーディエンス」ってひとくくりに思ってたものとは違う、様々な人たちの存在が見えてきた。ちゃんと顔が見えてきたから、その人たちのことを「ともだち」とか「ファン」ってちゃんと言えるようになってきた。そんなふうにうたっていけたらいいなって思ってる。
「どこどこにこういう面白いところがあるんだよ」ってだれかからメールもらうと、「オッケー行くよ」って、出かけて行くという。なんか、そういう流れから今、それがずっと止まらずにきてるって感じで。今月(6月25日)も、沖縄の「CD屋」っていう国道沿いにある小ちゃいレコード屋さんに行くんですよ。たぶん店内はすぐいっぱいになっちゃうだろうから、入り口開けて、すぐ前はだだっ広いスペースだから、そこまでお客さんがいる感じでわいわいやりたいな、って。

―― 沖縄はそのためだけに行くの?

曽我部 そのライヴのためだけ。あとはソーキそばを一杯食べに。『ディープ・ブルーズ』(ロバート・パーマー・著 五十嵐正・訳 1992年・JICC出版局/2000年・シンコーミュージック刊)っていう本があって、それを読んでると、ブルースマンはみんなそんなスタイルでやってて。それ、ブルースだな、と思って。

―― 日本でも、ベテランのギター一本でできる人たちは、そういう旅をやってるよね。

曽我部 そうだね。友部正人さんとか。あと高田渡さんもそうだったし。

―― 早くに亡くなってしまったけれど、河島英五さんも超・草の根のライヴ活動を基本にしてたって。今の曽我部くんに近いよ。普段はバイクに乗って全国を駆け巡って歌ってるんだけど、お茶の間レヴェルで知られてる大ヒット曲「酒と泪と男と女」(1976年)があったり、「時代おくれ」(1986年)っていう阿久悠さんが詞を書いた曲が何年もかけてジワジワとヒットして紅白歌合戦に出たり、コマーシャルにも使われてたりして。ギター一本で地道に活動しつつ、たまにコマ・ソンもやる。いわゆるコマ・ソンっぽい曲じゃないんだけど。

曽我部 近いかも。たまにコマ・ソンやるところも近い。

―― その振れ幅があるって、いいんだよ。

曽我部 自分はこうなんだ、って決めちゃう、それがいちばん嫌じゃん。自分はこういうシンガーなんだとかさ、こういうところでライヴやる、こんなジャンルの・・・っていう。オレ、それは絶対嫌なのね。アメーバみたいにグニャグニャした物体でいたい。なんか今はそれに近いと思う。で、例えばほら、いろんな人のトラックのうえでうたうことも関係なく自分のうただと思うし、うれしいこと。だれかが作ってくれたステージのうえでうたえるってことだから。
―― ツッチー(SHAKKAZOMBIE)のアルバムで歌ってた「カフェインの女王」も良かったもんね。あれ、曲は曽我部くんだったっけ?

曽我部 「カフェインの女王」は、ツッチーの歌メロがある曲に、ぼくが詞を書いて、コーラスこんな形で、っていう感じで一緒にやった。コーヒー飲み過ぎてる30代なかばくらいの女の人の曲。たまにああいうのやりたいな。

―― 曽我部くんの作家的な部分が出てるよね。そういうの、実はできる人だよね、曽我部くん。「有名になりたい」とか「セブンティーン」とかとサウンドがあまりにも違うから、違って見えるかもしれないけど、作家性を発揮した作品という点で共通するものがある。

註9 ロバート・ジョンソン 
   www.eonet.ne.jp/~muddy-waters/r1000robert-johnson.html

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