19時過ぎ。いつ出てもいいですよ、とスタッフ。ぼくはもう少し舞台の袖でいたいと思っている。そしてそのまま時が過ぎ去ってくれればなぁ・・・。
ぼくは、もうどうなってもいいや!という気分で舞台へと出た。「対決」という言葉はまだぼくの脳裏を舞っている。エンケンが聴いている、という恐怖心がぼくの舌に絡みつく。
果たしてぼくは、屈辱的敗北感に包まれてステージを降りた。無我夢中でがむしゃらにやったが、繰り出したパンチはほとんど的外れだった、そんな無惨なボクシングの試合のよう。
エンケンの演奏が始まり、ぼくは袖からそれを見る。「ほんとだよ」がていねいにていねいに奏でられる。はっきりと「負け」ということ。もしこれが「対決」で「勝敗」があるとするならば。
「ほんとだよ」は20代のエンケンさんがギターを持って初めて作った曲。エンケンの大宇宙を目の前に脱力しよう!
これまでぼくは、音楽はボクシングやサッカーとは違うんだと考えていた。勝ち負けで左右される勝負の世界とはちょっと違うんだから、と。ボクシングを観戦していて興奮してしまうときも、まさか自分がリング上に立つことはないという前提のもとのヒーローへの眼差しだった。でも、今まさに自分がそんな場所に立っている。それを知る恐怖感。そして敗北につきまとうある種の爽快感。
2曲を歌い終えたところでエンケンがぽつぽつと喋り始める。
「よく音楽になんか意味を持たせようとしているものがものすごく多くて。それがすごく嫌で。
俺は音楽なんて意味なんてなくていいと思っていて。
意味は人それぞれが自分の頭ん中で考えればいいんだ。
曽我部くんもさっき言ってたけど、「君が好きなんだよ。」って歌う。
君が好きだってことは、僕も好きだってこと。
自分自身も好きだってことも含めて君が好きなんだよって歌うことが、物作りの根本だと思う。
それはなんか絵でも小説でもいっしょ。
高いところから見下ろした小説なんかつまんないし、知識をただひけらかしただけの小説も歌もたくさんあるけど。俺はまず俺が好きで、だから俺の痛みがわかるから君が好きなんだよっていう歌がすごい好きで、それしか根本にないんだよね。
それが最近ではスケールアップして、宇宙のことを歌っているから彼はいいね、とか。宇宙ってのはここも宇宙だし、向こうの方の例えば金星に生物がいたらそいつらにとってもそこは宇宙なんだよね。果てしのないそういう論理は止めた方がいいと思うんだよな。UFOはいつでも正義の味方だって言ってる人は、それはそれで一つのSFとして楽しいけど、一つの物体を作った時には絶対にそいつにとって損得が出てくるから、そこには権力抗争がつきまとうからね。
だからいい奴も悪い奴も「自分にとっていい奴か」、「向こうにとって俺がいい奴か悪い奴か」、それしかないと思うんだ。
それは宇宙行ってもどこ行っても。
宇宙は+と−で出来ているから、+と−はその引き合う引力で出来ているわけだから、それさえしっかりとしていればいい。ふらふらふらふらと、その+と−の境界線をみんな一人一人彷徨って必死に生きているということだと思うんだ。そういうことだと思うんだ。
よく学生運動やってた人なんかが時々、「俺達の時代はどうのこうの・・・俺達がしっかりしなかったから・・・」とか言うけど、俺そういうの余計なお世話だと思うんだよな。みんな必死に生きてるんだよ。何十年も前から。
まず俺が自分のことをちゃんと歌えなかったら、政治的にも何にも基礎は成り立たないと思うんだ。
自分自身のことをちゃんとあなたに伝える。それが一番の本当の民主主義の根本だと思っています。
俺の学生の頃は学生運動が盛んだったんだけど、一つのことを大勢でやるよりも俺は絶対一人でいろんなことをやりたいんだよね。それでずっとやってきたんだよね。俺はそれが正しいなと思っています。だから曽我部くんはいつも自分のことをきちっとやってるから僕は好きです。なんか見てると俺もああいう感じでやってた時もあったんだよなあと思う時があって、かわいいなあと僕は思います(笑)。
「かわいいなあ」っていうのはバカにしてるんじゃないよ。その「かわいいなあ」というのは宇宙を動かす根源力だと思ってる。「かわいいなあ」と、何とか俺のものにしたいなあとか、「かわいいなあ」触ってあげたいなあっていうのが、それがあなたのために歌う根源なんだけどね。」
そしてぽつぽつと「おでこにキッス」を歌い始める。
真夜中にきみが泣いて目を覚ます。
ぼくが遠くに行く夢を見たという。
だいじょうぶだよ、ぼくはここにいるよ。ずっとずっといっしょだよ。
やわらかーい「おでこにキッス」を聴きながら、ぼくはとても自然に涙がぽろりと。ぼくらが確実に持っている強い優しさが歌われている。
|