DREAM MAGAZINE
DREAM MAGAZINE #9  page3/3
曽我部恵一が登場しない、
曽我部恵一の音楽の特集

あるいは、〈ラブシティ〉に辿り着くまでの、道しるべのような文章

インタビュー/構成:大久保和則
そして、<ラブシティ>へ
バンド時代を通して、今まででいちばんゆっくりと時間をかけて作っているアルバムだ。
制作に入るといつもすぐに湧き出てくる「あせり」を、蚤をつぶすように殺しながら。
何曲もの曲が入れ替わり、ボツになり、生まれ、そしてまたボツになり、少し変化し、大幅に変化し、そしてなくなったりすること数ヶ月。生命力のある11曲が生き残る(※13)
エンジニア池内氏と、BEASTIE BOYS(※14)『CHECK YOUR HEAD』(※15)制作中のエピソードを読んだりしながら、静かに燃える。かのアルバムは4年間をかけて、まるで部活のように楽しみながら作られたそうだ。
(04.June.2006/DIARYより)


ミキシングを担当したエンジニアの池内亮は、ソロになってからの曽我部サウンドを本人とともに作ってきた人物だ。 「2曲ぐらいのミックスが終わった時に、本人と電話で話してたんです。そしたら、曽我部さんが『今回は、お互い一切の妥協をしないでやりましょうね』って。その言葉が、すごく印象に残ってますね。ミックスに関してこれまでとは違う部分は、曲順を意識しながら進めたことです。この曲の次にこの曲が来る時に、このミックスでいいのかっていう部分、そういう細かい部分もつめてやってましたね。今までは、もっと一曲一曲が持ってる感じを大事にミックスをしていたんですけど、今回はそうじゃなかったんです。『恋人たちのロック』なんかは、何回もミックスをやり直してますからね。『恋人たちのロック』は、この曲が持ってるガレージ感を生かして、もっとガツガツしたミックスにしても生きるんですけど、それだとアルバムの中でどうしても違和感が残るんです。そう考えると、いろんな人に聴いてもらえるように意識したアルバムではあるかもしれませんね。音楽って、いろんな人がいろんな状況で聴くじゃないですか。で、あんまりいいスピーカーで聴くっていう人は少ないですよね。ヘッドフォンなりを通して聴いた時も心地いいし、読書しながらでもさらっと聴けるっていうことは意識したんじゃないかなと思いますよね。ちっちゃいボリュームでも、ちゃんと伝わっていく音楽っていうか。その上で、芯がしっかりしてるんだけど、ちゃんとポップスで、一曲目から最後まで通して聴けて、また最初から聴きたくなるっていう。だから、曲順には細心の注意を払ってました。最後の曲がなかなか決まらなくて、悩んでいた時期もありましたけどね。」

この「アルバムのラストをどの曲にするか?」という問題は、最終的には「アルバムのラストにふさわしい曲を書き下ろす」ということで解決に向かう。そうして生まれたのが、最後に収められた「WINDY」だ。
「お盆に香川に帰省してて、その帰りの車の中で出来たって言ってましたね。浜松あたりで出来たとか言ってたかな(笑)。僕が<CCC>でバーテンしてる時にやってきて、『ケニー、すっげーいい曲が出来たよ。明後日レコーディングしよう。もうスタジオは取ってあるからさ』って。」(大塚)
「『WINDY』が出来たのは大きかったと思いますね。どうやったらアルバムがしまるのかってことを、ずっと試行錯誤してましたから。この曲があるかないかで、アルバムの印象が変わる気さえします。」(吉満)
こうして、『ラブシティ』は、ついに完成へと辿り着くことになる。

夏休み最後のいちにちは、ぼくのアルバムレコーディング最後のいちにちでもある。
宿題を全部やりきる覚悟で奮闘中、現在深夜3時半。
(01.Sep.2006/DIARYより)


11月のある日の夜。目の前に座っているのは、ローズレコードの「記録係」こと、詩村宏明。サニーデイ時代から曽我部の音楽に魅せられ、都内はおろか、全国津々浦々のライヴに足を運び、初めて曽我部と対面した時も、「君か〜っ!」と言われた(ライヴ後には、必ずアンケートに記入していたため、全国どにに行ってもライヴに来ている詩村さんの存在を、曽我部も対面前に知っていたというわけ)という逸話を持つ人物だ。現在は、ローズレコードのオフィシャル・ムービーカメラマンとして活躍している。ライヴ時にずっとムービーカメラを回しているあの人と言えば、ピンと来る人も多いかもしれない。サニーデイ時代から、長きに渡って曽我部恵一というアーティストを見続けている彼の目に、『ラブシティ』はどんなふうに映ったのだろう?
「ソロ・アルバムの中でサニーデイの『東京』と対になるような立ち位置の作品、2006年の『東京』にあたるアルバムが出来上がったんじゃないかって、本人が言ってたんですけど、それは感覚として僕もすごくよくわかりますね。サニーデイの時をさらに円熟させたような形でまとめているというか。本人は無意識で作っているのかもしれないですけどね。『ストロベリー』や『ラブレター』は、身体で反応して作ってた部分があると思うんですけど、『ラブシティ』は、もっと自分の頭の中で鳴っている音を追求していった感じがします。そう考えると、サニーデイ時代の作り方と近いのかもしれないんですけど、決定的な違いは、『ストロベリー』や『ラブレター』を作ったことによって、そこに身体的な強さも加わってることだと思うんです。だから、サニーデイ時代の手法と、ソロになってから、特にここ数年で身につけた感覚が、うまくミックスされてるんじゃないですかね。『東京コンサート』も、『ラブシティ』を作るにあたっての、本人の中での確認っていう部分があったんじゃないかと思います。」

『ラブシティ』まで、もうすぐ。クリスマスの前には、みんながそこに辿りつける。 部屋では、今も何十回目かの『ラブシティ』が流れている。ラストの「WINDY」を聴いていると、いつも無性にどこかに出かけたくなる。誰かに逢いたくなる。たったひとりの部屋で、原稿なんか書いてる場合じゃないって気になってくる。そう思わせる力が、この曲にはあるのだ。 『ラブシティ』のラストで、曽我部はこんなふうに歌う。

だからぼくは行くのさ
風の中を行くのさ
(「WINDY」より)



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※13.
実際に「生き残」って『ラブシティ』に収録されたのは、最終的に9曲になった。
※14.
ビースティー・ボーイズ。Mike D(マイクD)、 King Ad-rock(キング・アドロック) MCA(エムシーエー) の3人組。
1979年にパンク・バンド「ザ・ヤング・アボリジニーズ」として結成。
1981年にビースティ・ボーイズと改名し、84年にデフジャムレーベルと契約したのを機にヒップホップサウンドへ転換。
1986年、『ライセンス・トゥ・イル』で衝撃のデビュー。ラップ作品としては史上初めてビルボード1位を獲得する。
以降、パンク・スピリッツに裏打ちされた冒険作を多数発表。ヒップホップの枠を越えた最高の3人組。
最新作は、『To The5Boroughs』。
※15.
ビースティー・ボーイズのサード・アルバム。1992年リリース。90年代を代表する超名盤。

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