DREAM MAGAZINE
DREAM MAGAZINE #10  page5/8
『ラブシティ』のすべて

インタビュー/構成:大久保和則
──サニーデイ時代に体力を使って作った曲って、たとえばどんな曲?
「『ここで逢いましょう』とか『魔法』とか」
──あー、わかる気がする。
「なんかの太さが違うんだよね。ずっしり感というか。『白い恋人』とか『恋におちたら』は、『幻の季節』と同じで、紙とペンとハートがあればできる曲。緻密な計算と感覚とハートを三つ巴にしてやってく作業だね。『ここで逢いましょう』とか『魔法』、『STARS』『WINDY』は、文学的な部分とかテクニカルな部分を全部排除して、感覚だけで書く一筆書きみたいなもんで。あっという間に作んなきゃできない。『魔法』も、30分ぐらいで作ったのを覚えてる。一回やめちゃうと、感覚が薄れちゃうんだよね。だからやめられないのよ。うわーって作ってヘトヘトになるっていう。そうやって作って、ただの力任せになって失敗する曲ももちろんあるし。勝負なんだよね。でも、そういう作り方って疲れるから、実は避けてるところもあって。日々、それをやってたら消耗しちゃうと思うしさ。そういう作り方の曲が増えてきてはいると思うけどね。サニーデイのときは、そういう作り方があんまり好きじゃなかったのよ。もっと文学的に完成されたものを求めてたから。文章だけで読んでもすっげえいいみたいな。今は、歌われてどんだけ爆発するかっていうことが重要になってきてる」
──『WINDY』は、どういう状況の中で書いたの?
「車の中で、もうぶわーって書いたね。名古屋を出発してさ、東京に戻ってくる間に、絶対にこの車の中で作るんだと思って作ってたわけ。途中でコンビニに寄って、空のMDを買ったりしてさ。そうしてやりはじめたんだけど、どうにも作れなくってね。それが途中で夜が明けてきたときに、その曲を書けない状況に対する夜明けみたいにも感じてさ。しかも、その夜明けの空がむちゃくちゃきれいで、『これを書こう』って」
──その時点で、これから『ラブシティ』の最後を締める曲が生まれるって感覚があった?
「もちろんもちろん。『あぁ、これが最後の曲だな』って感じで作ってたよ。『ラブシティ』が、『土曜の夜に』からはじまって、いろいろなことを経て、最後にはどういう景色が見えるんだろうって考えたとき、『あ、この夜明けの景色だな』ってぴんと来たからね。ものすごいラッキーで、神が降りてきたとしか言いようがないかもね。名古屋を出るのが一時間でも遅れてたら、いいタイミングで夜明けに遭遇しなかったかもしれないし。当日の天気が雨で、その雨が上がったあとだったから、空が紫とピンクですごいきれいだったんだけど、そういう天気じゃなかったら、書けなかったんだろうし。あのときあの瞬間の状況がなかったら、この曲はできなかったと思うから、そう考えると、偶然であり必然であり」
──『土曜の夜に』から『WINDY』に至るまでって、どんな風景の流れが見えてたの?
「映画でいうとさ、まず大都市の風景が俯瞰でバンと映るわけ。次は、誰かひとり暮らしの少年、大学生かもしれないけど、その彼の夜の風景が映って、『あぁ、愛ってなんだろう?』ってつぶやいてるシーン。その次は、いろんなカップルが映るのかもしれないし、下北でまったりしてるカップルにクローズアップするのかもしれないし。だから、街の風景だよね。で、最後は、また大都市の俯瞰に戻って夜が明けていくようなイメージ。やがてその風景が、ただの色になってくみたいな」
──アルバムの全体像について、いろいろと話してきたけど、その上であらためて『ラブシティ』ってこういう作品だなって思うところってあります?
「自分が培ってきたものを、忘れかけてたものも含めて、総動員した作品。サニーデイのときはさ、60年代のフラワーな文化・世界観がすごい好きで、バーズ(※15)とかをすごい聴いてたんだけど、あるときからディスコっぽい音楽とかのほうが好きになっちゃってさ。それで、ソフト・ロック(※16)のレコードなんかを全然聴かなくなるんだけど、そういう要素も自分の中にはあるのは間違いなくて。ビートルズも好きだし、『ペットサウンズ』(※17)も好きだし、ディスコっぽいのも好きだし、フェラ・クティ(※18)も好きなんだから、そういう部分をちゃんとポップスの中に素直に入れられたかなって。自分がいろんな仕事をしていく中で覚えてきたテクニック、いろんな手品のやり方を全部やろうと思って。初期衝動だけで、ロックンロールをやるんだよっていうことも大事なんだけど、俺しかしらない魔法はいっぱい使っておきたいなって」
──『ラブシティ』を期に、また変化していく予感みたいなものはあったりする?
「どうだろうねぇ? 何か別の大きなものを手に入れたか、入れようとしてる感じはする。それが何かはわかんないけど、今まではなかった力だとは思う。これでまた、もう一個次のステップが踏めるというかさ。ただ、同時にね、果たしてそれによって失うものは何かな? 何を失ったのかな?っていうことも考えてる。まぁ、いずれわかるんだろうけど、それは絶対そうなのよ。何かを新しく手に入れて、それまで持ってたものも持ててるなんてことはあり得ない。そういうもんだって思えてるのは、35歳になった今だからなんだけどさ」

時計の針は、もうすぐ午前2時を指そうとしている。日付は変わって、12月14日──そう、6年前にサニーデイ・サービスが、新宿リキッドルームで解散ライヴを行った日だ。曽我部も僕も、その事実にはまるで気づいていないかのように、インタビューを続けている。2006年の東京の、ある冬の真夜中の話。

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※15.
‘64年に結成され、ボブ・ディランの手による「ミスター・タンブリン・マン」で翌年デビュー。
サイケデリック・ムーヴメントの先駆的バンドとされ、フォーク・ロック的な要素に加え、
ロジャー・マッギンの12弦ギターに代表される幻想的なサウンド・アプローチが人気を呼んだ。
『リボルバー』期のビートルズ、特にジョージ・ハリスンに影響を与えたことでも知られている。
※16.
‘60〜‘70年代に多く発表された、美しいメロディとコーラスワークなどを特徴とする音楽の総称。
日本では、ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターの影響で、渋谷系前夜となる‘80年代なかば頃から徐々に浸透しはじめた。
‘90年代に入ると、フリーソウル・ムーヴメントの発信源となった『サバービアスイート』の発刊にあわせてリイシューされた
ロジャー・ニコルスの『スモール・サークル・オブ・フレンズ』が、都内大型CDショップでベストセラーを記録。
以来、そのエヴァーグリーンな音楽性がさらに広範囲に評価されることになり、若い音楽ファンにも浸透した。
代表的なアーティストは、ハーパース・ビザール、フリー・デザイン、ミレニウムなど。
※17.
ザ・ビーチボーイズが‘66年に発表したアルバム。リリース当初は、賛否が分かれ、
セールス的にも不調だったが、後年になって、その圧倒的な音楽性が再評価され、
リリースから30年あまりを経た‘97年にはついにプラチナ・アルバムに。
多くの音楽ファンが、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と並んで、
ポップ・ミュージックの最高峰と賞する名盤である。
※18.
アフリカの伝統的なポリリズムにファンクの攻撃的なグルーヴ、さらにはジャズの即興性をも融合させ、
のちにアフロ・ビートと呼ばれるワン&オンリーなサウンドを創造した革命的アーティスト。
代表作は、『ゾンビ』『オリジナル・サファー・ヘッド』など多数。
現在は、息子のフェミがその遺志を継いで、新時代のアフロ・ビートをクリエイトしている。

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